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旧石器時代 [教養]

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こんばんは、そうたろうです。


過去に起きた事件やその経緯を知ることが、様々なことを予想するのに役立つのではと思い、歴史を振り返ることにしました。折角思い立ったので、旧石器時代から振り返りたいと思います。

人の思うことは今も昔もそれ程変わらないのでは、と思います。さかのぼり過ぎかもしれませんけど。


【旧石器時代】

数万年前の日本はユーラシア大陸と地続きだったようです。下図の変遷をたどって、現在の形になったと考えられています。


旧石器.jpg

この頃の人類は石を打ち欠いて作った打製石器(下の写真)と呼ばれる道具を使いながら、洞窟などに住んで、狩りや木の実を採取して生活していたと考えられています。打製石器を別名、旧石器と呼ぶので、旧石器時代と呼んでいるみたいです。下の写真でわかるように、普通の石が欠けたような形なので、発見しても見過ごしてしまうと思います。


打製石器.jpg


打製石器を使用していた時代には、日本には人はまだ住んでいなかったと考えてられていたようです。長野県の野尻湖(下の地図)で、ナウマンゾウ(下の写真)やオオツノジカ(下の写真)の化石が発見されていたのですが、石器の発見はなかったようです。

 

野尻湖地図.jpg


ナウマンゾウ

ナウマンゾウ.jpg


オオツノジカ

オオツノジカ.jpg

ですが、終戦後の1949年、日本で初めて打製石器が発見されて、日本にも旧石器時代に人が住んでいたことが判明されたようです。この打製石器を発見したのが、相沢忠洋(あいざわただひろ)という人物です。(下の写真)

 

相沢.jpg

1926年、昭和元年に東京に生まれ、幼少の頃から考古学に興味をもち、独学で学んだようです。両親の離婚、奉公人に出され、軍隊入隊など相当な苦労人のようです。にもかかわらず、相沢さんの考古学への情熱は冷めることはなかったようです。そして、仕事の合間に群馬県の岩宿(いわじゅく)(下地図)で地道に発掘作業を続けて、打製石器を発見したようです。その後、発見の報告を受けて、偉い人たちのチームが派遣されて、打製石器が本物だと判明したようです。しかしながら、発見者はその偉い人であるとされて、相沢さんは、嘘つき呼ばわりされて、ひどいめにあったようです。学のない人間は黙殺される時代だったのでしょう。しかしながら、相沢さんは負けずに数多くの旧石器時代の遺跡を発見し、世間で認められる存在になったようです。後世に名を遺す人は、何があっても負けないようです。

教訓になります。情熱をもって、決して、諦めず、生き残るのだ。


岩宿.jpg


【旧石器時代の教訓】

情熱をもって、決して諦めず、相場に生き残るのだ。


ありがとうございました。


コロナが終息して、平和な世界が訪れるように願います。


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